年間行事案内
2月1週目土・日(毎年変更)11:00~
☆節分会 豆まき☆
壱百日間の荒行を終えた上人方にお集まりいただき、祈祷会に先立って「水行」を行って心身を清めた後、皆様おひとりずつに年中安泰の祈祷、また、併せて大厄除厄(厄払い)の祈祷、祈願、回向をいたします。
祈祷会終了後は、恒例の福豆まきもございますので、ご家族、ご親戚の皆様、ご近所の皆様おさそいあわせの上、お参りください。宗旨宗派は問いません。お気軽にお問合せください。
祈祷会終了後は、恒例の福豆まきもございますので、ご家族、ご親戚の皆様、ご近所の皆様おさそいあわせの上、お参りください。宗旨宗派は問いません。お気軽にお問合せください。
【節分】古来立春を正月としていたことから節分を年越といい、柊を戸口に挿すなど厄払いの行事を行っていました。
豆打ちが始まったのは室町時代。鬼の目はじき、鬼の目刺しなどとともに邪鬼を払う手段だったといわれております。
日蓮宗では「人の心は仏にも鬼にもなる。その心の悪を善に転換させることこそ、みほとけの教えに適う」という日蓮聖人のみ教えから、また、鬼子母神をお祀りしていることから「福は内」とだけ唱えます。
9月11日 龍ノ口法難会 14:00~
鎌倉時代後期、日本は内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、様々な脅威に包まれていました。それらを憂えた日蓮聖人(1222~1282)は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上しました。
しかし、幕府はこれを政策への中傷であると受け止め、文永8年(1272)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵におられた日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であったこの地、龍ノ口へ連行したのです。
翌13日子丑の刻(午前2時前後)、土牢から引き出された日蓮聖人は、敷皮石(座布団状の石に皮を敷く)に坐らされ、評定の使者も待たず、あわや斬首になるときでした。
「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。
龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮聖人をおいておらず、爾来、この出来事を「龍ノ口法難」と呼び習わしています。
しかし、幕府はこれを政策への中傷であると受け止め、文永8年(1272)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵におられた日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であったこの地、龍ノ口へ連行したのです。
翌13日子丑の刻(午前2時前後)、土牢から引き出された日蓮聖人は、敷皮石(座布団状の石に皮を敷く)に坐らされ、評定の使者も待たず、あわや斬首になるときでした。
「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。
龍ノ口刑場で処刑中止となったのは日蓮聖人をおいておらず、爾来、この出来事を「龍ノ口法難」と呼び習わしています。
当山では毎年11日に法要を行っております。
10月17日 宗祖御会式(おえしき)11:00~
宗祖日蓮聖人のご命日に行う法要
お会式(おえしき)とは日蓮聖人のご命日である10月13日を中心に行われる法要のことで、御命講、御影講ともいいます。
日蓮聖人御入滅の霊跡である池上本門寺では、12日の御逮夜に万灯練供養(万灯行列)が行われます。 100を超える各地の万灯講中が練り歩き、池上の町は深夜まで万灯の灯りとお題目に包まれます。 その様子は古くから秋の風物詩として名高く、安藤広重の名所江戸百景などの浮世絵にも当時の賑わいを知ることができます。 また、俳句では「御会式(お会式)」「御命講」「御影講」は秋の季語とされ、かの松尾芭蕉の俳句も残っています。
当山では毎年10月17日に僧侶数名、檀信徒の皆さまと法要を行っております。